松皮刀(しょうひとう)
成形後、半乾きの器の裏側(腰部分や高台など)を削る道具です。
一般的には、鉄のカンナが用いられますが、仕上げ後の土の表情が、柔らかい雰囲気になるため、主に茶陶を作る方などが好んで使います。
読んで字のごとく、松で作ります。
この写真はネットから落としたもので、僕の松皮刀ではありません。
僕の松皮刀はこれです!! →
大きく「くの字」に曲がった変形松皮刀です。
持ち方も異様です!!
別に、居合い刀を構える座頭市を気取っているわけではありません。
この状態で刀の先端(手首の下あたり)で削ります。
このような、超変則的な道具を使うのには、わけがあります。
1994年7月24日。
だいぶ前ですね。写真に日付が入っていました。
当時、大学生だった僕は、サークルの友人溝口くんと、バイクでツーリングへ。
目的地は奥鬼怒温泉郷。
日光よりさらにその先の山岳地帯といった感じのところです。
途中からは車などは進入できず、駐車して小一時間ほど先の温泉まで歩いていくといった感じだったと思います。
僕らも沢の近くにバイクをとめて温泉に行きました。
夕方になり、沢まで戻り、疲労感はあったものの、後は酒を飲んで、眠くなったらテントで寝るだけ。
とりあえず「イージーライダー」のジャック=ニコルソン気分でバーボンをラッパ飲みしながら、川原の適当な場所につまみやらコップやらを運んでいました。
そして・・・・。
足場の悪い、ごつごつした岩場で転倒。
鋭い痛みを感じ、手を見ると、あろうことか割れたボトルが右手首に刺さっているではありませんか!!(食事中の方、すみません)
見たことも無いくらい血が!!
「やっベぇー!! それやばいっすよっ!!」 溝口くんも絶叫!!
とりあえず、出血を止めなきゃ、ということで肘の上あたりを縛ってもらいました。
でもあまり効果がないような・・・。
とりあえず落ち着かなくては。・・・・そうだっ!!!
「溝さんっ、カメラっ、カメラっ!!」
すでにアルコールがまわっていたせいなのか、動転し過ぎていたのか、僕は溝口くんにそう叫んでいました。
いったん「記念撮影!?」をして、気持ちを落ち着けよう、そう考えたんだと思います。
←そのとき撮った写真がこれ。
手首のところはグロいのでぼかしてます。
不幸中の幸いは、溝口くんがまだ酒を飲んでいなかったことです。(つまり、僕は抜けがけして飲んでたわけで・・溝さん、すまん!)
溝口くんのバイクに二人乗りして、山を下っていきました。街灯もまばらな真っ暗な山道。
少しでもガタつくと、まるで右腕全体に電流が流れたかのような痛み。「死ぬかも」と思いました。
やっとたどり着いたふもとの小さな店で聞くと、なんと今市まで行かないと診てくれるお医者さんがいないとのこと!!(この日は日曜日だったのもあって)
今市というのは、先ほどの地図の一番右下のところ。
結局、怪我をしてから一時間以上たってやっと、病院にたどり着きました。
とりあえず応急処置でキズを縫ってもらって、本格的な治療は後日、当時住んでいたところの病院でということになりました。
そこからがまた大変です。荷物や僕のバイクは奥鬼怒の山の中。まさか放置していくわけにもいかないので、再び奥鬼怒まで戻ることに!!
当然、もうとっくに夜中みたいな時間です。追い討ちをかけるように、病院から出発しようとしたら雨がっ!!!(バイクで雨はキツイ)
たった今縫ったばかりのところを濡らすのもまずかろうと、レジ袋をかぶせてガムテープでぐるぐる巻き。
そしてまた一枚。↓
また山道を一時間以上かけてテントまで戻り、二人とも、死んだように眠りました。
次の日になって、右手は薬指と小指はかろうじて動かせたので、それでアクセルを握り、ゆっくりゆっくり帰宅の途についたというわけです。
(今となっては)おもしろい二枚の写真が。
こっちは、「行き」。
ヘルメットのせいで、へんてこな頭ですが。
僕も意気揚々。
そしてグラサンもポーズもきまっている溝口くんですが・・・・
こっちは、「帰り」。
僕の右手には包帯。
僕も溝口くんも疲労困憊のあまりグニャっとした感じに。
少し小さくなったようにさえ見えます。
二人とも着替えてすらいません。
なんとか家までたどり着き、最寄の病院で診察してもらいました。
しばしの問診の後、おもむろに引き出しから針を取り出したお医者さん。
当たり前のように僕の中指の先をポツポツと針で刺し始め(ポツポツと血が出て)
「あぁ、こりゃやっぱり神経切れてるね!」って、切れてなかったらどうすんねんッ!!
手首のところを通っている「正中神経」という神経が切れてしまったとのこと。
この神経の守備範囲は赤で囲んだところの感覚と、親指を動かすための親指付け根の筋肉への指令。
後日、手術をして神経をつなぐことに。「八割くらいの感覚は戻るでしょう」とのこと。
今に至るも、半分くらいしか戻らなかったような・・・・(泣)。
こうして、僕は半左利きみたいな右利きという状況になったわけです。
今でも赤・部分は半分「他人の手」みたいだし、親指でぐっと握るのも苦手なので、超変則的な松皮刀を作って使っているわけです。
結論
溝口くん、君は命の恩人です。
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